1117号 中国から消えた元号
[昨日までで、訪問者総数が724,610人になりました。]新元号「令和」になって、中国ではまるで自国のことのように関心を示した。元号の本家は中国だが、既に無くわが国でのみ連綿と続いている。中国人は自分たちがすでに失ってしまったものには興味や関心があるらしい。一方、支那の属国として生き延びてきた韓国は、わが国の改元にもイチャモンをつける。天皇や元号について、嫉妬に近い羨望を持ってるのだ・・・・・・
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カンチ(アシカ)絶滅は日本のせい?
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〔韓国の小中の歴史教科書では、竹島に棲息したアシカを絶滅させたのは日本人だと教える。歴史的検証もぜず、なんでも日本が原因だとする。朝鮮人という生きものはなんと他人に転嫁する生きものなのか〕◆「竹島(独島)はわが領土」と主張し、小学校の低学年から領土教育に力を入れる。その韓国で、竹島のアシカを絶滅させたのは日本人のせいだと教えているのだ。
▼「竹島(独島)はわが領土」を叫ぶ韓国が、近年になって新しく追加した内容だ。竹島(独島)に生息していたカンチ(韓国ではアシカを海驢<カンチ>とよぶ)」に関する内容だ。カンチは現在、絶滅状態にある。なぜ「生物」や「地理」ではなく「歴史」教科書に載るようになったのか。
◆2000年代以前に「カンチ」という名前は新聞にも見当たらない。カンチという名前が急に韓国社会に広がり始めたのは、島根県議会が2005年に2月22日に「竹島の日を定める条例」を賛成多数で可決した時からだという。「竹島(独島)は韓国の領土」であることを強調する材料として登場させたのだ。
◆「カンチ」という動物は、韓国のテレビと絵本を通じて繰り返し報道、宣伝された。現在では知らない子供たちはいない。海の動物として馴染み深い存在のアシカは、絵本や漫画はもちろん教科書にまでキュートな動物として描かれる。
◆しかし、ここに深刻な問題が含まれていた。このカンチという名前が登場するときには、必ずセットになって「日本」が登場するのだ。勿論日本は「加害者」だ。つまり、かわいい動物を絶滅させた者として描かれている。
◆竹島(独島)にはかつて数万匹のアシカが生息していた。20世紀半ば以降アシカは完全に絶滅した。絶滅の最大の理由は、日本人漁師たちの無分別な乱獲が原因だと子供の童話や国営放送(KBS)でウソをまき散らした。
◆当然だが、このような教育とメディアに曝さらされた子供たちと青少年は、日本に対して怒り、憎しみ、反感などの否定的な感情を持つようになる。動物を虐待し、韓国の自然を破壊した「加害者」として日本が頭の中に定着していくのだ。
◆しかし、この物語と報道は事実ではない。日本人が日本統治時代の韓国でアシアを捕獲したのは事実だが、日本人の乱獲で絶滅したというのは明らかな虚偽だ。なぜなら、終戦後も1970年代までアシカは竹島(独島)に大量に生息していたという証拠がある。
◆1956年8月25日付の東亜日報は、<独島の生態>という記事で、<独島周辺には約100匹と推定されるカンチが生息しており、このカンチたちは時々岩石の上に上がって吠えながら遊んだりする>と報告している。戦後、チョンが乱獲したことは明白だ。韓国人が行った「カンチ狩り」については言及せず、すべて日本のせいにする。朝鮮人とはなんと浅ましく卑屈な生きものなのか。今さらながら愚民の生態が分からない。
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19.05.20
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支那から元号が消えた
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支那人は元号がお好き?
〔清朝最後の皇帝・宣統帝。清朝滅亡により支那では改元はなくなった〕▼新元号「令和」施行になった。慶賀の至りである。一方、中国ではまるで自国のことのように関心を示した。なぜ中国人は日本の元号に注目し、関心を持つのだろうか。わが事のように盛り上がった中国。5月1日は中国ではメーデー(労働節)の祝日だった。
▼中国が改元に関心があると思われるのは、4月1日の菅義偉官房長官の発表からだった。午前11時40分過ぎ、菅長官の発表から数分も経たないうちに、中国共産党機関紙「人民日報」で改元に関する発表をしたことからも窺える。ほかにも「環球時報」など主要紙でも同じような報道が続いた。日本のメディアとほとんど変わらないほどの素早さだ
▼ネットでも改元を祝う書き込みが続いた。
「新元号は令和!恭賀!(おめでとう)」
「安倍首相の安の字は、結局使われなかったんだ!」
「平和にするということで、いい響き。いい元号だ」
「新元号、ついに決定!」
新元号に対する反応は、日本人とほとんど同じだった。
新元号の典拠について
▼元号といえば中国が発祥だ。前漢時代の「建元」が最初だといわれている。「康熙(こうき)」、「雍正(ようぜい)」、「乾隆(けんりゅう)」などは学校で習った。中国では1911年(明治44)、清朝の「宣統」を最後に元号を廃止している。宣統帝・溥儀はラストエンペラーとして有名だ。
▼その元号。〝本家〟中国には既に無い。連綿と続くのはわが国でのみである。中国人は自分たちがすでに失ってしまったものに興味や関心はないだろうと思ったら大間違いだった。
▼新元号の典拠について、安倍首相は『万葉集』と発表していた。だが中国人から見れば、典拠は中国最初の詩文集である『文選(もんぜん)』ではないか、というのだ。わが国のメディアも中国の盛り上がりを横目で見ながら、漢学者などへの取材を試みた。その結果落ち着いたのが「中国が典拠なのでは」という説だった。新元号「令和」の出典は、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」から創出したものだが『文選』の句を踏まえていることも確かだ。
漢字や漢文への思い入れが深い中国
▼しかしいくら漢詩、漢文の国とはいえ、菅長官の「令和」発表から数分ですぐに『文選』にある張衡の詩が元だと指摘するのは、中国人がいかに元号を懐古しているかの証左かもしれない。あるいは中国人の古典への造詣の深さか。
▼中国ではここ数年、「国学」への関心が高まっている。国学とは、論語をはじめ、孟子、老子、大学、四書五経、弟子規(孔子などの教えに基づく生活規範)などの中国の古典のことだ。わが国では古くからこの分野の研究が進んでいる。典型的な例が「孫子の兵法」だろう。日本では中国古典のレベルは高く、社会にも「中国からやってきた文化」は知らず知らずのうちに浸透している。
▼だが〝本家〟の中国では、文化大革命などの影響で、これらの古典は長い間、軽んじられてきた。ところがここ数年、中国は経済的な成長と比例するように、民衆は人としての成長したのか古典ブームが巻き起こっている。中・高では「語文」、日本でいう国語の授業で漢詩や「古典」を教えている。
▼テレビも大学教授が中国の古典をわかりやすく解説する番組が評判だ。幼い子どもは競って難解な漢詩をそらんじている。
かつてチョン集団にも元号はあった
▼わが国の新元号発表は、支那人に〝本家〟としての自意識を覚醒させたらしい。一方、支那の属国として生き延びてきた韓国は、わが国の改元にもイチャモンをつける。この生きものらは日本がなにかする度に不快感を示すのだ。
▼かつて薄汚いチョンの集団にも元号はあった。戦前、まだ大韓帝国の時代1897~1907年は「光武」、1907~1910年は「隆熙」だった。その後朝鮮は日韓併合により、元号は明治・大正・昭和と続いた。
▼新元号にあたり韓国メディアは安倍首相が出典に日本の古典も含めるよう求めていたことに触れ、「安倍首相の国粋主義的価値観が反映された」と批判的に伝えた。メディアでは「令和」は言葉通り解釈すれば、「平和を命じる」という意味だという。日本政府が自らが考える平和のために積極的な役割を果たす、という意味にも取れると主張したのだ。
「令和」の起源は朝鮮と叫ぶ文化乞食
▼韓国は天皇や元号について、嫉妬に近い羨望を持ってる。元号は最早、日本しか持ってない文化だからだ。漢字を捨て、王室を捨て、結局、文化がない韓国では日本が羨ましい。つまり文化乞食なのだ。ソメイヨシノの原産地騒動でもわかるよに、韓国は起源が欲しくて仕方ない。驚くべきことに「令和」の起源も朝鮮だと言い始めた。
▼韓国は、侍、日本刀、剣道、空手といった武術・武道関連から、歌舞伎や折り紙といった伝統文化、寿司や沢庵といった日本料理まであらゆるわが国の文化・伝統はすべて朝鮮起源説だ。日本語の語源、写楽や天皇などの著名人物、熊本城や日本庭園や勾玉といった有形文化財、ソメイヨシノや秋田犬のような動植物に至るまで、分野や有形無形を問わず、日本の象徴である様々なものに対して主張している。もはや病気だ。
▼「令和」朝鮮起源説は、考案者である中西進大阪女子大名誉教授が、帰化人の小説家・柳美里に「三国時代の末、朝鮮半島で百済と高句麗が滅亡し、多くの人たちが日本に渡ってきた。その当時、渡来人が万葉集に大きな影響を及ぼした」と述べたのが根拠だ。朝鮮半島で詠まれた詩歌が海を渡り、後に万葉集にある日本の詩歌に影響を及ぼしたということを主張したいのだろう。最早、相手にするのもバカバカしい。朝鮮人という行き止まりの半島で棲息した生きものは、支那人に抑圧されてどこまで心根が曲がってしまったのだろうか。愚民以下の愚民だ!
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夜がわらっている/織井茂子〔昭和33年(60年前)〕-1958-(93)
〔懐かしい昭和の歌謡曲をお送りしています。〕
<音量にご注意ください>
♣この年、晴れてわが国は国連安全保障理事会の非常任理事国に選出された。東京都では学校給食に牛乳が加わった。また李承晩ラインで拘束されていた抑留漁夫300人が、韓国から帰国した年だった。♣日劇では「ウェスタン・カーニバル」が開催。関門国道トンネルが開通した。東京オリンピックのメーンスタジアム国立競技場完成し、第3回アジア競技会が新装の国立競技場で開催された。小松川高校で女生徒の絞殺死体発見され、この惨い殺人に批難囂々だった。また世界で初めて即席ラーメン(サンシー殖産〈現・日清食品〉)が「チキンラーメン」を発売した。♣狩野川台風が猛威を振るい、死者・不明1269人が出た。東京~神戸間に特急こだま号運転開始。皇太子明仁親王と正田美智子さんの婚約が発表されたのもこの年だった。♣東京タワーが完成し、1万円札が発行された。フラフープが大流行した。石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」が映画と流行歌で大ヒットした年でもあった。
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「親日」は半島に生息する生きものの生きがい
〔行き止まりの半島で棲息してきた生きものらは、常に支那の顔色をみながら生きてきた。いま解放されたこれらの生きものは、かつて日本に統治された恨みから、統治時代に、日本に協力した者を「親日派」として苛めている〕▼「親日派の娘」と非難された朴槿恵を「親日残滓の清算」の目玉にして大統領になったのは文在寅だ。「親日派」とは「戦前から戦中の日本統治に協力した民族の裏切り者」を指す。
▼韓国では、ある一つの国に対して深い知識を持っている専門家や、その国に太い人脈を持つ者を「親○派」と呼ぶ。中国社会に詳しい者を親中派といい、アメリカが大好きな者を親米派という。つまりレッテルを貼るのである。だが親中派、親米派に特に悪いイメージはない。ところが一旦「親日派」とレッテルを貼られると、そのイメージは一変する。親米派や親中派とはまったく異なるのだ。
▼韓国の「親日派」とは単に日本文化が好きだとか、日本に太い人脈を持っているとかの意味ではない。そこには「背信者」というニュアンスが含まれている。今の韓国では日本をよく知っていても、太い人脈を持っていても自身が「親日派」と呼ばれることを極端に警戒する。いや寧ろ恐れてさえいるのだ。だからメディアに登場する場合は「親日派」を敢えて「知日派」として使うようにしている。
▼「親日派」というレッテルを貼られて極端なバッシングを受け、あえなく表舞台から消えいていった著名人は数限りなくいる。
▼あの金完燮だ。『親日派のための弁明』という著書で「日韓併合」を全面肯定した。当局は猛然と反発し「青少年有害図書」に指定し、「名誉毀損」と「外患扇動の罪」で逮捕したのだ。日本では発売から2ヵ月たらずで30万部を売り上げた名著である。反日感情の強かった一韓国人が、なぜ身の危険を冒してまで「親日派」に転向したのか。
▼金完燮は日本統治時代を研究して、侵略者どころか解放勢力だったと捉えた。伊藤博文は国家という範囲を超えた東アジアの文明開化に努めた革命家だと考えている。韓国社会は自分たちは独自な国の独自の民族と考えているけれど、実際には、制度、風習、考え方は日本の影響が強いと考えるようになった。民衆の立場から素直にみると、日本は侵略者ではなく李朝時代の圧政から朝鮮を解放した解放勢力だったのだ、というのが金完燮の主張だ。2002年頃だった。
▼さらに、2014年には朴裕河教授が日本語で書き下ろした『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)を 2014年に出版すると、元慰安婦と称するばあさんたちが、巣窟の「ナヌムの家」から連名で起訴した。この9人のばあさんたちは名誉毀損だから一人300万円、9人で2700万円払えと訴えたのだ。京城高等法院は罰金100万円の判決を言い渡した。▼「親日派」は日本統治時代に朝鮮民族を苦しめた背信者を表現する言葉だ。ドラマ、映画、漫画などに登場する「親日派」の姿はいつも卑劣で、卑怯で、残忍な者として描写されてきた。日本人という言葉よりももっと大きな憎悪の対象が「親日派」なのだ。「親日派の子孫」というだけで社会的攻撃対象になり得るのが韓国なのだ。
▼韓国の政治家の中にも祖父や父親が親日行為をしたという理由で選挙において競争候補から攻撃されるケースは珍しくない。保守だけでなく「革新」と呼ばれる左派の中にもいる。その典型が朴槿恵(前大統領)だろう。パックネのお父っつぁんは満州国軍将校だ。「親日派の娘」として攻撃を受けてきた。
▼2004年、韓国では「過去の清算」という名分のもと親日派のリストアップ作業が行われた。その作業は、2005年に発足した大統領直属の「親日反民族行為真相糾明委員会」という組織が行ったが、それとは別に民間機関である「民族問題研究所」も独自の親日派分類作業を始めた。「民族問題研究所」は国民に「親日派の清算」を訴えながら募金活動を行ったが、わずか10日間で目標金額の5億ウォンが集まるほどの国民的な支持を得た。
▼2009年に入ると、そのリストが発表された。当初、お父っつぁんはリストには記載されなかったが、韓国メディアと国民は「朴正煕=親日派」というレッテルを貼った。こうしてパックネは「親日派の娘」というマイナスイメージが定着したのだ。
▼こうしてみてくると韓国(南朝鮮人)の異常さがみえてくる。朝鮮人はウソをつくことがDNAとして定着している。行き止まりの半島で棲息するこの手の生きものは常に自分よりも下等なもの、卑劣なものを見つけないと生きていけないのだ。それが抑圧された生きものの生きる術だったのだろう。哀れな生きものだ。愚民め!
チョッと休憩
ユーモレスク/ヨゼフ・スーク
〈音量にご注意ください〉
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(92)大コンツェルン「満業」の誕生
〔大連埠頭。大連は満州国ではなく関東州で中国からの租借地だったが、満州国への入口だった。写真は1935年ごろと思われる〕▼満州国の産業開発は、1937年(昭和12)から新たな展開をみせた。満州開発5ヵ年計画がスタートしたからである。
▼所要資金25億円を投入して重工業(鉄鋼・石炭・電力・車輌・兵器・自動車・飛行機など)を重点的に育成し、対ソ戦に耐えられる国力をつけ、合わせて日本への資源・資材供給基地をめざしたのである。計画を実質的に指導したのは、商工省文書課長だった岸信介(戦後、首相)である。その手足となって動いた椎名悦三郎(戦後、岸内閣官房長官、佐藤内閣外相) だった。
▼岸は切れ者との評判が高く、陸軍に嘱望されて満州国に招かれたのである。関東軍はもちろん陸軍全体が、財閥資本に支配されない統制経済を主張し、総力戦体制を確立しようとしていた。岸の考え方はそれと合致していたのである。満州開発はその恰好の試験地だった。
▼岸は昭和に入ってから急成長した新興財閥、日産、すなわち日本産業㈱を満州に持ち込むことに成功した(1937年12月)。日産は三井や三菱など旧来
の財閥と異なり御しやすいとみた。
▼日産はその傘下に、日立製作所・日産自動車・日本鉱業・日本化学工業など130社、15万名を擁した大コンツェルンだった。満州に進出するにあたって満州重工業開発と社名を改称した。半民半官のいわゆる、国策会社「満業」の誕生である。満業は満鉄が経営していたほとんどの企業を引き継いで、スタートした。満鉄は鉄道部門と撫順の炭鉱部門と調査部門だけに改組縮小された。
▼こうして満業の在満直系会社には、昭和製鋼所(鞍山製鉄所)・満州炭礦・東辺道開発・満州鉱山・満州鉛鋼・安奉鉱業・満州採金・満州軽金属・満州マグネシウム鉱業・同和自動車工業・満州飛行機製造など、重工業のほとんどが集中した。
▼当時の満鉄総裁は松岡洋右で、岸の叔父の義兄だったが、日産の導入と満鉄縮小は、岸のこうした人脈によって成功したといわれる。(続)
〔資料、文献等は本連載の終了回に報告します〕
連載――(68)

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武士の一年2
〔亥猪の日は夕方からの登城のため、城内に入城でさない下級式士たちは大手門や桜田門などの篝火の近くで主君が出てくるのを待った〕端午(たんご)。武家では、現代の雛祭りのように武者人形などを段飾りにして盛大に祝った。七草、上巳(じょうし)、端午、七夕、重陽(ちょうよう)は五節句と呼ばれ幕府の公式の行事として重んじられ、決められた服装で大名や旗本が江戸城に登城した。
嘉祥(かじょう)。6月16日の行事で、大名や旗本たちが江戸城で将軍から菓子を下賜される行事だった。大名は賜った菓子を家臣に分け与えるなど、大名家でも同様に、家臣が主君から菓子を賜ることもあった。
八朔(はっさく)。8月1日に、徳川家康が関東に入ったことを祝う日。大名や旗本たちの登城時は、服装は白帷子(しろかたびら)に長袴(ながばかま)と決まっていた。3000石以上の者は「御太刀目録○両」などと書いた目録と金を、木で作った太刀と共に献上した。
重陽(ちょうよう)。9月9日に行なわれる行事で、菊を浮かべた酒を飲む。登城のファッションは花色(淡い藍色)の小袖とされていた。また衣替えの日でもあったため、この日の登城から足袋を履いた。
亥猪(げんちょ)。10月最初の亥(い)の日に、子沢山の猪にあやかって子孫繁栄を願う行事。大名や旗本たちは七つ半(17時頃)に江戸城に登城し、餅を頂戴する儀式があった。下城が五つ(20時ぐらい)になるので、殿の帰りを待つ家臣たちによって、大篝火が焚かれた。
歳暮(せいぼ)。12月21日頃から歳暮の贈答が行なわれた。大名や領地を持っていた旗本は、領地の特産品を献上することもあり、井伊家の牛肉の味噌漬けなどが有名だった。大名の家臣たちも主君に献上品を贈った。
献残屋(けんざんや)。ギフト商品などのリサイクルショップ。江戸時代は贈答文化が盛んで、特に武士の間では何かにつけて品物などがやりとりされた。その場限りの儀式用の品を調達したり、不要なものを引き取ってもらったりした。
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次回の「しっかりしろ、ニッポン」は5月25日頃發行予定です。ご愛讀くださいませ。
〔五日毎〈ごとうび〉に更新しております〕
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「朝日新聞」と出版物の不買運動をしよう!
「A級戰犯」の分祀に反對!
「村山談話」「河野談話」「宮沢談話」「菅談話」を白紙撤廃せよ!
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<本ブログ掲載記事は下記の資料を参照にしております。>
産経新聞電子版・朝日新聞電子版・読売新聞電子版・日本経済新聞電子版・長崎新聞電子版・琉球新報電子版・沖縄タイムズ電子版・電子版八重山日報・八重山毎日新聞電子版・世界新報社電子版・朝雲新聞電子版・iRONNA・夕刊フジZAKZAK・SankeiBiz・iZa・日刊ゲンダイ電子版・日刊スポーツ電子版・スポーツ報知電子版・サンスポ電子版・東京スポーツ電子版・NEWSポストセブン電子版・週刊実話電子版・週刊女性自身電子版・週刊女性セブン電子版・週刊ポスト電子版・共同通信電子版・時事通信電子版・聯合ニュース電子版・朝鮮日報電子版・中央日報電子版・東亜日報電子版・韓国毎日経済新聞電子版・ソウル新聞電子版・京郷新聞電子版・統一日報電子版・大紀元日本語電子版・新唐人電視台・人民日報電子版・新華網電子版・チャイナネットJapan・レコードチャイナ・サーチナ・東方網電子版・北京週報日本語電子版・新華社経済ニュース・Taiwan Today・AFP通信電子版・Sputnik日本電子版・Voice of America電子版・The New York Times電子版 ・Washington Post電子版・Financial Times電子版・東京大学新聞Online・KBS(韓国国営放送)・その他 雑誌「正論」「文藝春秋」、ホームページ、Wikipedia及び書籍その他WiLL・HANADAなどの月刊誌、タウン誌等。
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