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zoom RSS 1017号 チョーセン人の僻み根性のルーツ(1/4)

<<   作成日時 : 2017/12/20 07:56   >>

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清の冊封史に三田渡で三跪九叩頭したチョーセン人は、この屈辱が強烈な「恨」となって残った。僻み根性と飽くことなき「恨」の感情は、サルフの戦いでヌルハチに敗けて以来、この三田渡の屈辱で何代にも亘って怨念として残った。とくに辱めを受けたのが夷狄の女真族(満州人)であったことが、明朝を模範としていたチョーセン人には耐えられなかった・・・・・・


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慰安婦問題は外交問題だ
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画像◆慰安婦問題――その殆どが家庭の事情から、女衒の斡旋に応じた売春婦だったことはわが国の調査で明らかになている。

◆ましてや帝国陸軍が強制的に少女を連れ去って慰安婦にした、などというのはフィクションのなにものでもない。

◆ところが河野洋平は平成5年8月4日、従来の政府見解を独断でひっくり返した。河野談話の発表で記者から「強制連行の事実があったという認識なのか」と問われると、こう答えた。
「そういう事実があったと。結構です」
 旧陸軍が慰安婦を強制連行して性奴隷にしたという「伝説」に、河野が「政府公認」という立場でお墨付きを与えた瞬間だった。

◆朝日新聞も嘘を垂れ流した。戦中、陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する吉田清治が刊行した『朝鮮人慰安婦と日本人』の内容をウラを取らないでそのまま垂れ流した。しかもセンセーショナルに。
〈吉田は軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した〉

◆慰安婦問題は韓国にとって恰好の日本を貶める材料になった。韓国は日本軍が戦前「アジア各地から20万人の女性を慰安婦として強制連行し、本人の意志に反して〈性奴隷〉にした」と吹聴したのだ。女衒に勧誘されて自らこの道に入った売春婦が、いつのまにか20万人になり、「性奴隷」となってしまった。日本政府はこの事実を認めて謝罪し、賠償を行えと執拗にわが国に迫る。

◆慰安婦(売春婦)は「性奴隷」となり、極東の、しかも70年以上も前の戦時中のことを、わけもわからずイメージだけを膨らませて日本に謝罪を迫る。中韓のプロパガンダに触発されて同調するのが欧米人だ。

◆サンフランシスコ市に建てられた慰安婦像は、中国系米国人の団体による。中国の意図が見え隠れする。彼らは慰安婦問題を歴史問題とすることで政治問題化しているのだ。実に巧妙な攻め方だ。

◆このサンフランシスコ市のやり方に憤ったのが大阪市だった。捏造された歴史を、さも真実のように触れ回り、わが国を貶める。呆れるのはこのプロパガンダを外務省はただ黙って見ているだけなのだ。

◆国家的誹謗を受けていながら、なぜ地方自治体が矢面にたたなければならないのか。サンフランシスコ市の慰安婦像に外務省は厳重抗議をしたのか。要は、わが国の国家主権が侵されているのだ。

◆サンフランシスコ市の慰安婦像はあきらかに歴史戦だ。国を貶めるためだ。これはもう外交問題なのだ。政府がもっと表にでて抗議しなければ、いずれわが国は国際的に「性奴隷」の化し、人権のない非民主国家と位置づけられるだろう。いやそればかりか、厖大な賠償金を支払わされるはめに陥らないとも限らない。しっかりしろ、ニッポン!

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17.12.20
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チョーセン史から読み解く、あの僻み根性の根源(1/4)

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李朝軍1万3000、サルフの原野に散る

画像〔巨大な露天掘りの撫順炭坑。この炭坑の近郊で、サルフの戦いが始まった〕

▼薩爾滸――sarhū(サルフ)と読む。露天掘り炭鉱で有名な地・遼寧省北部の撫順近郊だ。ここにサルフ山という山がある。山城を築くには恰好の場所だ。

▼時代は遥かに遡る。398年前。女真人(満洲人)の国家・後金を建国したヌルハチは1619年、明と李氏朝鮮の連合軍がサルフ山の山城で激しい攻防を繰り広げた。連合軍の総勢は47万、一方ヌルハチの後金軍は10万。双方が支那撫順東方でサルフ山城を巡り激突したのだ。結果はヌルハチ側の後金が一方的な勝利で終わった。

▼清の史料に曰く、「大明の兵の倒れたるもの、山野に縦横に拡がり、屍、兵器の河を流れるもの、氷砕くるが如く、血海河になりたりき」と。

▼このとき、李朝国王の光海君は、都の漢城(京城)で使者の言上を受けた。李朝軍1万3000は、満州のサルフ原野で全滅したのだ。朝鮮族の大敗であった。

明の崩壊を悔しがる光海君

画像〔三田渡の三跪九叩頭でチョーセン人に強烈な屈辱感を味わった。この屈辱は「恨」となって骨に沁みこんでいった〕

▼使者は、「国王殿下。わが軍1万3000、満州のサルフの野において壊滅しました!」と言上した。

▼通常、君主の称号は「陛下」だ。若いとはいえ光海君は国王だ。何故に「殿下」なのか。わが国でも君主は「天皇」と称し、皇太子や皇子、皇女は「殿下」と称する。だが、李氏朝鮮の君主は「陛下」ではなく「殿下」なのだ。ここにチョーセン人の僻み根性の遠因があった。

▼李氏朝鮮の太宗・李成桂〔イ・ソンゲ〕は元(モンゴル)の武官だった。後に高麗の武官となり、恭譲王を第34代高麗国王に擁立した。李成桂は野心家だ。やがて計画通り恭譲王を国王の座から奪いとると、その子孫すべてを殺害し、自らが高麗王として即位したのだ。

▼1393年、明より王朝交代に伴う国号変更の要請をうけた李成桂は、国号を「朝鮮」と定め、李氏王朝を確立した。1401年、明から正式に王に認めてもらうと、ここに李氏朝鮮が誕生した。クーデターにより元の武官が朝鮮の王となったのである。

▼朝鮮は明の冊封体制に組み込まれた。明皇帝の臣下となる。しかし朝鮮の王となった李成桂は明皇帝の臣下である。臣下では「陛下」の称号は使えない。「陛下」はこの世で中華帝国の皇帝だけのものなのだ。サルフの戦いで使者が国王・光海君を「殿下!」と言ったのは朝鮮が明の臣下であったからである。「陛下」という称号が使えないチョーセン人にはそこはかとない悔しさがあった。

▼冊封使は皇帝の代理人である。李氏朝鮮は明の年号を使用し、王位継承の際は、朝鮮王は冊封使の前にひざまずき、三跪九叩頭の礼を尽くす。皇帝に対する臣下の礼だった。三度膝を屈し、九度額を地面に叩きつける。この上ない屈辱だ。「恨」はこうしてチョーセン人に埋め込まれていった。

▼サルフの戦いで敗れた光海君はヌルハチに恭順の意を伝えた。

日本には「恨」、明には感謝

画像〔文禄・慶長の役。圧政に苦しむ朝鮮民衆は、秀吉軍上陸にあわせて朝鮮王に叛旗を翻した〕

▼明がヌルハチに敗れる27年前。秀吉は明の征服を企てた。そして朝鮮に出兵する。これを歴史上、朝鮮では壬辰倭乱〔じんしんわらん〕という。わが国では文禄・慶長の役だ。秀吉は明政略に朝鮮にその先導役を命じた。しかし明の臣下である朝鮮王が応じるはずもない。話が纏まらないまま、秀吉軍(日本軍)は20万の兵で朝鮮に上陸した。

▼日本軍の朝鮮上陸したのをきっかけに、なんと民衆が蜂起したのだ。当時、民衆は朝鮮王朝の圧政に苦しんでいた。朝鮮は日本軍の上陸と反乱した民衆民で国内は蜂の巣をつついたような大混乱に陥った。

▼日本軍は鉄砲隊を先頭に破竹の勢いで進軍する。朝鮮軍はその勢いにおされて敗走を続けた。しかも首都漢城の防衛隊はたった7000人しかおらず、鉄砲もなかった。

▼漢城を脱した光海君は、明に援軍を要請するため、国境の義州まで落ち延びた。しかし明は冷淡だった。日本軍が中朝国境に迫ったのを見て明はやっと重い腰を上げる。李如松〔りじょしょう〕将軍が率いる援軍を派遣したのだ。

▼しかしチャンコロは元来が性格が汚い。明軍は横暴だった。朝鮮の民衆からありとあらゆる物を略奪する。やっとの思いで小西行長から平壌を奪還したが、汚い李如松は、平壌市民を殺害してその首を刎ねた。前髮を剃って日本兵に見せかけ、その戦果を光海君に誇示したのだ。

▼秀吉の死によって日本軍は糸を引くように撤収した。明軍も日本軍の撤収を見計らって撤退していった。後に残った朝鮮国土は、日本軍と明軍の戦いで蹂躙され荒廃していた。ここでもチョーセン人の心底に日本に対する「恨」が埋め込まれた。明には朝鮮王を支援したということで、「恨」の感情は抱かなかった。

朝鮮王朝は殺しあいの連続

画像〔昌徳宮は李氏朝鮮の宮殿だった。この宮殿内では骨肉の争いが絶えなかった〕

▼李氏朝鮮の王朝は派閥争いの連続だった。現代でもその片鱗が窺える。政権が交代すると前政権の首領は必ず粛清される。政権(党派)争いは、敵の首を刎ねるまで続くのだ。

▼光海君の父・宣祖は再婚した正室に男子が生まれた。この男子が永昌大君である。父・宣祖は永昌大君を溺愛した。すると光海君が疎ましくなった。ここでいつもの党派争いが発生する。両班(官僚)は永昌大君派と光海君派に分かれた。彼らは政〔まつりごと〕はそっちのけで、党派の派閥抗争(党争)に熱中したのだ。

▼父・宣祖が死ねばどうなるか。いつもの骨肉の争いだ。光海君は直ちに即位すると、兄の臨海君、弟の永昌大君を反逆罪で流刑に処した。当然、彼らを支持した党派の両班も粛清された。つまり死刑である。今の北朝鮮と変わらない。

▼当時8歳になったばかりの永昌大君は、流刑先で蒸殺にされた。「蒸殺」とは、むしごろと読む。部屋に閉じ込め、過熱したオンドルの上で生きたまま蒸し焼きにすることだ。

▼一族の殺し合いは朝鮮王朝が消滅するまで続く。李成桂〔イ・ソンゲ〕の晩年には、息子たちが王位を争って殺しあった。この兄弟の殺しあいに勝った5男・李芳遠(太宗)は兄弟2名を処刑し、1名を流刑にしている。

満州に逃げた両班たち

画像〔江華島は海峡を護る要衝地として砲門を備えていた〕

▼光海君は、明ともヌルハチともバランスよく外交関係を維持した。しかし明はヌルハチとの関係を喜ばず、密かに朝鮮内部に光海君排除の圧力をかけた。

▼党派抗争が起きる。争いが生きがいの両班は明の思惑に飛びついた。1623年、親明派の両班らが宮廷クーデタを起こし、光海君は追い込また。新明派に折れた光海君はついに廃位して甥の仁祖を擁立したのだ。

▼江華島に流刑となった光海君は、死後も「暴君」として祖先の霊廟に祀ることを許されなかった。通常、国王には〈宗〉という諡号で呼ばれるのだが、光海君だけ〈君〉である。

▼クーデターにより多くの光海君派の両班が処刑された。飽くことを知らないチョーセン人だ。やがてクーデタ派の中で内ゲバが起きた。内ゲバに敗れた両班、つまり官僚たちは満州へ亡命する。満州に逃げてきた両班らはヌルハチに直訴した。
「仁祖に王位を簒奪された!」(続)




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あの町この町/詞 野口雨情 曲 中山晋平

〔懐かしい童謡・唱歌・青春歌をお送りしています。〕
<音量にご注意ください>


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犬肉を食べる、野蛮なチョーセン人
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画像〔見た目も可愛い犬。チョーセン人はこの犬を食べるニダ! 野蛮人め!〕

▼アメリカが平昌五輪に参加するかどうか、いまだに不透明だ。日米韓と軍事同盟化はしないと豪語した文在寅、THAADに配備に消極的な文在寅にアメリカは匙を投げている。

▼その韓国にまた痛烈な打撃が襲った。アメリカ議会が韓国に犬肉の販売禁止求めるたのだ。

▼いま世界で犬の肉を喰っているのは中国と韓国ぐらいだろう。韓国は伝統食文化だと反発する。よくそれで「食の万博」に参加できたものだ。

▼2016年にイタリア元観光長官が犬食を中断しなければ平昌五輪をボイコットすべきと主張したことがあった。30年前の1988年京城五輪では、欧米諸国へのイメージダウンを避けるため、京城市内にある犬肉レストランが閉鎖されたという。

▼ペット人口が1000万人の韓国では、若者の「犬食」離れが進んでいるとはいえ、いまだ伝統食として「犬肉」はどうどうと販売されているのだ。

▼平昌五輪を控えて、アメリカ下院外交委員会はアジア諸国に犬肉の売買をやめるよう求めた決議案を採択した。野蛮な韓国の食文化への圧力だ。

▼CBSは、韓国は1300年代から犬肉を食べていたと解説した。動物性タンパク質が貴重だった昔、病み上がりなどによく犬肉を食べさせたという。犬の肉を使用したスープを〈補身湯(ポシンタン)〉という。夏場の強壮料理だそうだ。アッチのほうも盛んなチョーセン人だ。勃起力維持のための強壮料理なのだ。

▼朝鮮日報は年間78万〜100万匹の犬が食用として流通していると報じる。いや〜、半端な量じゃない。世論調査会社によると、2015年の1年間に犬肉を食べた男性の比率は50〜60代が半数を占めるという。

▼衛生面でも犬肉は問題が指摘されている。犬肉は抗生物質まみれなのだ。劣悪な飼育環境などのため病気に対する抵抗力が落ち、抗生物質が乱用されている。

▼京城五輪の時は、海外の動物保護団体が犬の食用を禁止しなければ五輪をボイコットすると、韓国製品の不買運動を展開した。平昌五輪が盛り上がらない中、犬食問題は五輪成功のカギを握る。やっぱり、半島の行き止まりの地域の種は、穢らわしい。愚民め!




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(61)本に殺到した人々

画像〔警視庁に押収されたカストリ雑誌の数々。(1948年4月)〕

▼戦中は文化的な活動が抑圧されていたが、戦争が終わると、大衆の文化的欲求はしだいに息を吹き返してきた。なかでも、戦後次々に創刊されては消えていった大衆向け娯楽雑誌の代表格であるカストリ雑誌は街角で売られて大人気となった。

▼『真相』『実話』『変態集』『狂艶』など、扇情的なタイトルの雑誌が次々に創刊されたが、あまりに競合が多かったために3号発行できればいいほうで、1号出してはつぶれてしまう雑誌も多かった。

▼豊かな胸を露出した女性などのイラストの表紙に彩られ、エロ・グロ・犯罪・ナンセンス記事などを中心に扱うカストリ雑誌の人気は高かった。

▼戦時中の言論統制下では、体制にそぐわない思想や言論は、情報局による検閲などによって厳しく規制されていた。その結果、書籍などの出版は自由にならず、出版業界は閉塞感に包まれていた。

▼それが、終戦直後の1945年、GHQが「言論及び新聞の自由に関する覚書」を日本政府に対して通達したことで状況は急激に変わった。その内容に従って、内務省が新聞事業令、言論・出版・集会結杜等臨時法を廃止したのだ。

▼GHQ司令部による校閲は受けるものの、言論出版の自由が実現したことで、空前の出版ブームが到来した。

▼言論は自由になり、出版も自由になったとはいえ、当時はまだ物資が不足していた。そんな状況のなか、ヤミのザラ紙やくず紙を再利用した仙花紙という粗悪な用紙に刷ったカストリ雑誌が街角などでも売られるようになった。

画像〔西田幾多郎全集発売の前夜に岩波書店の前で徹夜する人々。3日前から列ができ始めて、2日で200人ほどになったという〕

▼哲学的な出版物や読み物も戦後の出版ブームを支えた。当時の人気本を見ると、太宰治の『斜陽』、ドストエフスキーの『罪と罰』、永井荷風の『腕比べ』、夏目漱石の『夏目漱石全集』、吉川英治の『新書太閤記』など近代文学を代表するそうそうたる書名が並んでいる。

▼出版元となった岩波書店営業部の前には、16日の夕方から行列ができ始めた。布団やゴザなどを携えたたくさんの若者たちが、近代日本最大の哲学者の著作の発売を待って夜を明かしていたのだという。

▼戦時下の出版や言論統制にあって文化的なものに飢えていた若者や大人たちがこぞって名著を買い求めたのである。(続)

〔資料、文献等は本連載の終了回に報告します〕





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次回の「しっかりしろ、ニッポン」は12月25日頃發行予定です。ご愛讀くださいませ。
〔五日毎〈ごとうび〉に更新しております〕
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「朝日新聞」と出版物の不買運動をしよう!
「A級戰犯」の分祀に反對!
「村山談話」「河野談話」「宮沢談話」「菅談話」を白紙撤廃せよ!






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<本ブログ掲載記事は下記の資料を参照にしております。>
産経新聞電子版・朝日新聞電子版・読売新聞電子版・日本経済新聞電子版・琉球新報電子版・沖縄タイムズ電子版・電子版八重山日報・八重山毎日新聞電子版・世界新報社電子版・朝雲新聞電子版・iRONNA・夕刊フジZAKZAK・SankeiBiz・iZa・日刊ゲンダイ電子版・日刊スポーツ電子版・スポーツ報知電子版・サンスポ電子版・NEWSポストセブン電子版・週刊実話電子版・週刊女性自身電子版・週刊女性セブン電子版・週刊ポスト電子版・共同通信電子版・時事通信電子版・聯合ニュース電子版・朝鮮日報電子版・中央日報電子版・東亜日報電子版・韓国毎日経済新聞電子版・ソウル新聞電子版・京郷新聞電子版・統一日報電子版・大紀元日本語電子版・新唐人電視台・人民日報電子版・新華網電子版・チャイナネットJapan・レコードチャイナ・サーチナ・東方網電子版・北京週報日本語電子版・新華社経済ニュース・Taiwan Today・AFP通信電子版・Sputnik日本電子版・Voice of America電子版・The New York Times電子版 ・Washington Post電子版・Financial Times電子版・東京大学新聞Online・KBS(韓国国営放送)・その他 雑誌「正論」「文藝春秋」、ホームページ、Wikipedia及び書籍等。
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