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zoom RSS 1013号 改革で伝統を破壊するな

<<   作成日時 : 2017/11/30 08:01   >>

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「古事記」には国譲りの神話に相撲の起源とされる記述がある。「日本書紀」になると、神ではなく人間としての力士同士が相撲を行う姿が細かく描写されている。相撲の歴史は古いのだ。この古来からの歴史を連綿と受け継いできたのがいまの大相撲である。このわが国の良き伝統を、改革という名で破壊してもいいのか・・・・・・


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画像◆サンフランシスコに行ったことはない。知っていることと言えばサンフランシスコは「桑港」と書くことと、渡辺はま子の「桑港のチャイナタウン」という唄ぐらいだ。チャイナタウンが唄になるくらいだから、移民国家アメリカではこの地域にチャンコロ系が多いのだろう。客家だろうが。

◆移民国家アメリカの地方都市がわが国と決定的に違うのは議員定数が圧倒的に少ないということだ。例えばサンフランシスコだ。人口は約73万人で議員定数はたったの11人だ。人口約350万人のロサンゼルスの議員定数は15人。78万人のサンノゼは10人だ。

◆一方わが国の横浜市は人口374万人で議員定数86人。ロサンゼルスは350万人で15人だ。サンフランシスコに匹敵する人口の熊本市は74万人で86人。練馬区は72万人で定数が50人。サンフランシスコ市の議員定数が異常に少ないのか、わが国の地方議会の定数が異様に多いのかは分からない。

◆大阪市は271万人の人口を抱える大都市だ。議員定数は83人。大阪市がサンフランシスコ市と姉妹都市を提携したのは、今から60年前の昭和32年だった。5年毎の周年の節目には代表団を派遣し、記念事業の実施等集中的な交流を実施。関係の強化を図っていた。友好都市である。

◆その大阪市とサンフランシスコ市との関係に亀裂が生じた。発端はあの忌まわしい「売春婦像(慰安婦)」である。

◆サンフランシスコ市は中国系米国人議員が多い。11人の市会議員の内、3人が中華系、1人が韓国系だ。市長は華僑のアメリカ人だ。

◆アメリカには華僑による中国系アメリカ人団体がある。「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」だ。抗日・反日のロビー活動を主目的としている。本部はカリフォルニア州にある。そしてカリフォルニア州北部に位置するするのがサンフランシスコ市だ。なんとなく「売春婦像(慰安婦)」の意図がわかる。

◆抗日連合会は、客家の華僑集団が発展した中国系アメリカ人の(表面上は)民間団体だ。中国政府から潤沢な資金を得て運営されている。本部は1994年、カリフォルニア州に置いた。目的は日本を貶め、国際舞台から引きずり降ろして、巨額な賠償金を拠出させることだ。

◆抗日連合会は9月、セント・メリーズ公園展示スペースに「売春婦像(慰安婦)」を設置した。設置された「売春婦像(慰安婦)」と碑文をめぐり市議会は今月14日、像と碑文の寄贈を受け入れる決議案を全会一致で可決したのだ。多額な政治資金と支那系が多いこの議会では予測はついていた。

◆設置スペースは民間用地だったが、すでに寄贈されて市有地となっている。市議会がこの像を受け入れれば、完全に像と碑文は公共物化される。エドウィン・M・リー市長が議会側からの通知を受けて10日以内に拒否権を発動しない限り、自動的に寄贈は受け入れられるのだ。

◆これにカチンときたのが大阪市の吉村洋文市長だ。「サンフランシスコ市が団体から慰安婦像の寄贈を受け入れることになれば、姉妹都市の関係を解消する」と憤る。抗日連合会と属国の韓国系団体が協力して市内の公園の展示スペースに設置した「売春婦像(慰安婦)」は、サンフランシスコと大阪、強いては日米間の有効にも反する。碑文には慰安婦を「性奴隷」と明記するなど、「反日」の内容が極めて濃い。

◆吉村はハガティ米駐日大使に抗議した。「慰安婦の問題は朝日新聞のフェイクニュースで世界に間違った情報が流れたものだ」と。ハガティも「誤った情報で両国の関係がうまく進まなくなることを懸念している」と強調したという。

◆しかし11月22日、リー市長は「売春婦像(慰安婦)」の受け入れを認める文書に署名した。これで市長の署名により像と碑文は完全に公共物化されたのだ。

◆日本を貶める中国系アメリカ人と韓国系アメリカ人。わけの分からない移民国家アメリカを舞台にわが国を貶める行動は日増しに酷くなっている。政府は地方のこととはえ、もっと真剣に対応すべきではなか。歯痒い限りだ。

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17.11.30
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改革で日本の伝統を絶やすな

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古事記の国譲りの神話が相撲の起源だ

画像〔最古の力士像埴輪〕

▼埴輪(はには)は、4〜7世紀ごろ、古墳の上または周囲に立て並べた素焼きの土製品のことだ。弥生時代の壺をのせる器台を起源にもつ円筒埴輪と、人物・馬・猪・犬・鶏・水鳥・盾・靫(ゆぎ)・蓋(きぬがさ)・家などの形をした形象埴輪に大別される。

▼須恵器(すえき)は、青灰色の,堅く焼きしまった土器のことだ。中国灰陶の系譜をひき、直接には朝鮮伽倻地方の陶質土器の系統に属する土器だ。5世紀中ごろ(古墳時代中期)前後に,伽倻地方から陶工集団が渡来して生産を開始したといわれる。釉薬をかけた陶器との混乱をさけ、考古学では須恵器(すえのうつわ)ともいう。

▼埴輪も須恵器も、いまから1770〜1400年ぐらい前の古墳時代の土器から出土されている。わが国の考古学上、極めて貴重な文化財なのだ。これらの出土品に〈相撲〉が描かれているのを知ると、相撲が日本では古くから競技として行われていたと考えられる。

▼「古事記」には国譲りの神話に相撲の起源とされる記述がある。「日本書紀」になると、神ではなく人間としての力士同士が相撲を行う姿が細かく描写されている。まさに格闘技として描かれているのだ。この様子は柔道の起源とも言われる。奈良時代になると、〈相撲〉に三手の禁じ手が決められた。「突く、殴る、蹴る」である。この時に四十八手などの礼儀作法が制定された。

▼「相撲の最初の記録」は聖武天王(在位701〜756年)が7月7日に相撲を観戦したことが「相撲戯」として残されている。相撲の歴史は古いのだ。

希代の力士だった、雷電爲右衛門

画像〔雷電爲右衛門〕

▼江戸時代の大横綱はなんといっても谷風だった。明治に入ると大横綱は初代梅ヶ谷となり、大正時代は太刀山、栃木山になった。

▼雷電爲右エ門は、その圧倒的な成績と記録、伝説、逸話から史上最強力士といわれる。第12代横綱・陣幕久五郎は「無類力士」として雷電を「横綱力士碑」に顕彰している。

▼雷電は当時の第一人者である谷風梶之助の預かり弟子として初土俵までの6年間を過ごした。雷電の評判は上々で、初土俵前から期待されていた。期待の大きさから初土俵前ながら松江藩に抱え上げられる異例の待遇を受ける。

▼寛永元(1789)年7月に大坂で小結を務めた後、寛永2(1790)年11月に関脇として江戸でデビューする。以後35場所(出場34場所)で優勝相当28回、通算成績254勝10敗2分14預5無勝負41休、勝率9割6分2厘、9連覇、7連覇、44連勝、43連勝など圧倒的成績を残すことになる。希代の名力士だった。

▼谷風、小野川に続く横綱免許に柏戸利助と玉垣額之助(4代)が打診されたが、雷電は「ごつぁんです」と言って横綱免許を断った。横綱免許は谷風、小野川のみに授与された。

▼文化8(1811)年閏2月、現役を引退後、雷電は松江藩相撲頭取として、強豪・稲妻雷五郎を見出す。しかし文化11(1814)年に大火で焼失した報土寺の鐘楼と釣鐘の再現に尽力したが、この鐘の形状が幕府上役の不興を買い、江戸払いにとなる。文政2年(1819)年、藩財政緊縮の流れの中で相撲頭取職を解任となる。晩年は、妻の実家のある千葉県佐倉市に移り、その地で暮らして、文政8(1825)年2月21日に亡くなった。享年58歳だった。

戦争で陸軍に接収された旧両国国技館

画像〔戦前の旧両国国技館〕

▼相撲興行は江戸時代に入ると、寺社建立修繕の資金集めとして「勧進相撲」が行われた。これが現代に繋がる職業としての大相撲の始まりである。時の権力者・徳川将軍も、たびたび上覧相撲を開催していた。

▼都市が発展していくと、歌舞伎や人形浄瑠璃などと共に、相撲興行も行われた。それに伴い多くの浮世絵師が相撲や力士の錦絵を描いた。力士絵は浮世絵のジャンルとして確立されていく。

▼明治時に入ると明治維新と文明開化に伴って東京都で制定された「裸禁止令」によって、東京の力士は罰金とムチ打ちの刑に処されてしまう。これまでの人気が一転、相撲存続の危機が訪れるのだ。その危機を救ったのが、明治天皇と伊藤博文だった。天覧相撲が実現され、やがて社会的にも相撲が公認されるようになったのである。

▼やがて東京相撲協会と大阪相撲協会が設立され、組織的な形態が確立されたが、明治42年、初の常設相撲場となる国技館が建設された。力士は羽織袴姿で場所入りするようになった。ここまでは先の大戦、大東亜戦争前までの経緯だ。

▼次第に大東亜戦争が拡大すると、国技館は陸軍に接収され、場所を移動して開催したりした。しかし次第に力士も徴兵され、最後は東京大空襲で両国国技館も各相撲部屋も全焼してしまう。大相撲にはこうした連綿とした歴史があることも忘れてはならないだろう。

今も土俵は女人禁止

画像〔女相撲〕

▼相撲とは、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りなのだ。と同時に武芸でもあり武道でもある。その名残が「弓取り式」だ。また力士は祝儀を得るために相撲を興行として行った。今に残る懸賞金がそれにあたる。大相撲が、いわゆるサッカーや職業野球と違うのは、この古来からの仕来り、儀式が厳然と残っているからである。

▼また江戸中期以降の大相撲には神事が色濃く残っている。力士の土俵入りの際には拍手をうち、横綱が注連縄(しめ縄)を巻くようになった。注連縄とは神事の神聖な場所と下界を区別するために張る縄のことだ。新年に悪気が入らないとうに家の出入り口に張ったりする、あのしめ縄と同じ意味がある。

▼相撲の宗家とされた吉田司家の許可に基づくものである。吉田司家(よしだつかさけ)とは、現在まで800年以上の歴史を持つ、五条家に代わる相撲 の司家、家元だ。東京での本場所前々日には墨田区の野見宿禰神社に日本相撲協会の幹部、審判部の幹部や相撲茶屋関係者が出席して、出雲大社教の神官によって神事が執り行われる。

▼さらに相撲場は明治中期まで女人禁制だった。明治になるまでオンナは観戦することもできなかった。現在でも土俵上に女性が上るのを忌避している。尤もこの伝統的な慣習に反発したのか、日本書記には女相撲という言葉も見られる。九州地方では現在も伝統行事として女相撲が行われている。また俵を使った土俵の登場は江戸時代からだ。

▼行司についても触れておこう。相撲司家の宗家吉田司家以外に、全国には行司家というものがあった。行司家は、五条家をはじめ、吉岡家、服部家、尺子家、一式家、岩井家、式守家、木村家、木瀬家、鏡山家、長瀬家など、その他多数存在したが、現在では、木村家と式守家のみが残っている。

タニマチあっての相撲界

画像〔タニマチは力士にとっては欠くことのできない支援者だ〕

▼タニマチについても少し触れておこう。タニマチ(谷町)とは相撲界の隠語で、ひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、無償スポンサーのことだ。現在では相撲界以外にも野球界、プロレス界などの他のスポーツ、また歌舞伎界や演歌界を中心に芸能界でも幅広くタニマチと称するご贔屓がいる。

▼贔屓にしている力士やスポーツ選手、歌手などの芸能人に多額の援助という形で後援し、後見人的立場の人物のことをタニマチというのだ。援助の形態は幅広く、繁華街等での豪遊から、本業における多人数分のチケット費負担や客集め、または私生活での金銭援助や副業への協力など多岐にわたる。その見返りに一緒に食事をしたり結婚相手の推薦や結婚式の仲人を務めたりする。とくに相撲界ではタニマチから提供されるものは相手を精査せずに何でも頂く「ごっつぁん体質」が存在するのも確かだ。

▼最近は個人後援会やファンクラブなどの組織が多く普及してきた。貴乃花親方が提唱する大相撲におけるサポーター制もその一つだ。サポーター制とはこれまでのタニマチを全否定し、ファンをサポーターとして年会費2000円で、子どもから大人まで幅広く応援できる仕組みを立ち上げる方法だ。またお茶屋制度を廃止し「ます席」の販売方法を変える。さらに力士の給料を年俸制にして生活の安定化を図る、などだ。

▼その反面、貴乃花は相撲道を追求する。むしろ「相撲原理主義者」でもある。モンゴル出身力士勢が、部屋に関係なく横のつながりを深めていることを、日頃から快く思っていなかった。八百長の温床になりかねない、と言うのが貴乃花の考えだ。

江戸相撲の香りがするお茶屋

画像〔お茶屋には江戸相撲の香りが残っている〕

▼相撲界もただ黙って改革をしてこなかったわけではない。江戸時代、享保年間(1716〜1736)から宝暦年間(1751〜1764)にかけて、それまで各所の勧進相撲を渡り歩いていた烏合の衆をまとめて、年寄制度のもと、興行権益・興行収益を差配・分配する、「相撲会所」と呼ばれる組織を確立したのだ。このシステムが現代まで続いている。相撲会所には更に年寄別に力士を組分した集団が作られ、それが今の「相撲部屋」の始まりだ。

▼各年寄は自分の住まいに稽古場を設け、力自慢の者を養成するようになる。稽古場を備えた住まいが「相撲部屋」だ。当時の勧進相撲は大名諸侯や諸藩お召し抱えの力士も多く、現在の「相撲部屋」のイメージが出来上がったのは明治に入ってからである。

▼また大相撲には「一門」と呼ばれる組織が存在する。いまでもこの「一門」は健在だ。「一門」は、古来の伝統文化を継承し、疑似一族を形成する。「一門」には従事者として力士・年寄・行司・呼び出し・床山などを抱えて構成されているのだ。出羽海一門、二所ノ関一門、立浪一門、時津風一門、高砂一門、伊勢ヶ濱一門などが今でも健在である。ただ特異なのは貴乃花グループだ。

▼実は貴乃花の改革も、相撲協会は真摯に受け入れて取り組んできた。例えば「二人ます席」や「握手権付きます席」などの形態でチケットも販売している。さらにサポーター制を意識して各部屋は一般ファンクラブを募集してる。貴乃花の言ってる改革はほとんど実現しているのだ。ただ小中高の相撲一環教育は簡単には実現しない。

▼相撲茶屋は江戸時代の伝統を残をのこしたシステムだ。日本相撲協会の委託で入場券の販売権を持っているが、弁当・土産などの当日の飲食饗応とセットになっている。江戸相撲の面影が濃い。ただ高額なので一般には購入し難い。出方が入場客を席に案内する様に、日本の伝統が醸し出される。愚生は一度だけこのます席に行ったことがある。

▼改革もサポーター制も間違ってはいないが、会員の獲得に熱心になって、相撲界が連綿と築き上げてきた伝統が損なわれるのが心配だ。歌舞伎とともに相撲には、わが国の財産である伝統が息づいているのだ。安易に改革に走って、このよき伝統を踏みにじってはならない。




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夕焼小焼/詞 中村雨紅 曲 草川信 唄 本多信子

〔懐かしい童謡・唱歌・青春歌をお送りしています。〕
<音量にご注意ください>




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敵基地攻撃能力は隠せ

▼数年前、韓国のバカ大学生に〈主敵国はどこか?〉というアンケートをとった。その結果は――
日本:48.5%
北朝鮮:38.3%
中国:2.9%
台湾:2.4%
アメリカ:2.1%
ロシア:1.8%
フィリピン:1.2%
 だった。「反日」派の泰斗、全教組が実施した結果だ。全教組は北朝鮮は同じ民族だから韓国を狙わない。日本を主敵だと思え! と刷り込む。その結果、韓国に核兵器を撃とうとする主敵が日本になった。刷り込みは怖ろしい。

画像〔韓国の主敵国は日本だ。こんな穢らわしい、日和見の種とは敵対国家でいい。いざとなったら徹底的に殲滅してしまえばいいのだ〕

▼防衛省も敵国は北朝鮮、中国、韓国と想定している。韓国は同盟国だと思っている日本人も多いが、とんだ間違いだ。韓国はわが国を射程に収めるミサイルの開発でアメリカの合意を得たのだ。射程距離800q、弾道重量500sのミサイル開発をアメリカから許可を得た。

▼韓国がわが国を〈敵国〉として照準を合わせていることは確かだ。寛容な防衛省も自衛隊も堪忍袋の緒が切れた。わが国も敵基地攻撃能力を秘めたトマホークを製造しようということになった。それが「日本版トマホーク」の開発だ。

▼建前は、地上の目標を攻撃できる巡航ミサイルを開発する方向ということだ。実際、開発はすでに進んでいる。あくまでも建前の話で、防衛省は2018年度から研究を始める予定だと言う。対艦ミサイルに対地攻撃能力の付加し、敵に奪われた島嶼を奪還するのだ。

▼2018年度予算の概算要求で「島嶼防衛用新対艦誘導弾」の研究費77億円だ。2022年度に試作品の完成を目指す。 計画段階では射程は300km以上で、専用車両や護衛艦、P1哨戒機、戦闘機などから発射可能にする。全地球測位システム(GPS)などを利用しながら低空で飛行し、目標直前で搭載したレーダーに切り替え、破壊する方式を想定。ステルス機能を高めた形状とし、米国のトマホークより敵のレーダー網をかいくぐりやすくするほか、飛行途中で進路を変えるなど、より迎撃されにくくなる機能も検討する。

▼わが国はなぜいまになって巡航ミサイルの開発を検討するのか。その一つは中国海軍の海洋進出と装備の近代化への危機感からだ。ミサイルが実戦配備されれば、離島に接近する艦船や、上陸した地上部隊への攻撃能力が大幅に向上する。ミサイルを搭載する艦船や航空機を敵地近くに展開すれば、敵基地攻撃での利用も可能となるのだ。

▼ただ、わが国は憲法上、敵基地攻撃能力については認められていない。あくまでも専守防衛の観点から政策判断だ。まずは中国に侵奪される離島防衛に主眼を置いての開発だ。

▼韓国は文政権になって限りなく〈左傾化〉している。在韓米軍を撤退させようと目論んでいる。その行き着く処は支那の属国≠セ。文はそれでも南北が赤化統一されればいいと考えている。そして主敵は「ウェノム(倭人)」だ。獲れるだけ日本から資産を奪って、最後は破滅させる。これがチョーセン人の意識だ。

▼日本は一日も早く対地巡航ミサイルを完成させて、チョンの空威張りを抑制しなければならない。福澤諭吉も言っていたではないか。チョーセン人とは付き合うな、と。穢らわしい愚民とは早く訣別すべきだ!




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(57)敗戦2ヵ月後に発売された宝くじ

画像〔宝くじの売り出し初日の様子〕

▼「一等十萬円が……百本當る!」というキャッチフレーズで、1945年10月、戦後初の宝くじが発売された。

▼大卒の銀行員の初任給が80円程度、白米1升(約1.8リットル)のヤミ価格が70円だった当時、宝くじの値段は1枚10円で1等賞金は10万円、副賞はキャラコ(綿布)2反(約70センチメートル程度)、空くじ4枚でタバコ10本と交換できるというものだった。

▼この年の宝くじの年間販売実績は3億円で、宝くじを販売する店には進駐軍向けの英語の広告まで掲げられており、人気の高さがうかがえる。また、副賞のキャラコというのが、物資不足だった世相を反映させている。

▼その後、徐々に賞金が値上がりしていき、副賞も豪華になっていく。1947年の日本勧業銀行発売の宝くじの1等賞金は100万円で、「100万円くじの誕生」としてこの年の10大ニュースにも取り上げられた。

▼1948年には東京都の復興宝くじの副賞に住宅1軒というものが登場し、住宅不足にあえぐ都民がこぞって買い求めたという。(続)

〔資料、文献等は本連載の終了回に報告します〕





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次回の「しっかりしろ、ニッポン」は12月05日頃發行予定です。ご愛讀くださいませ。
〔五日毎〈ごとうび〉に更新しております〕
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